前回書いた話の一部を拡大解釈すれば「作者は詰め上がり直前の応手で駒を取ることを作意で期待してよい」となるだろう。
12角、24玉、45龍、51飛、34角成、 まで5手詰
この図の4手目を33合と答えてくる解答者とはお友達になりたくない、というやつだ。
しかし自分はあぶり出しに関してはこの考えをもたない。詰め上がりの絶対性こそが、あぶり出しの価値だと思っているからだ。たとえ終わり2手でも形の崩れる変同は避けてほしい。
という話をえび研だったか、たま研だったかでしていたら、馬屋原さんに次の図を出された。馬屋原さんの全駒煙の終わり3手目。
作意は当然12玉だが、21合とすれば煙らない変同になる。詰め上がりに絶対性を求めるなら、これは煙として失格になるのか。
(上図は捨て駒になっていないが、例えば下図でも同じ話)
しかし個人的にはこれは許している。煙として問題ないと。
そしたら久保さんに「ダブルスタンダード」と言われてしまい、いや、ごもっとも。