書きかけのブログ

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超長編の許される変長と余詰

あらかじめ断っておくが、人の作品を不完全だとかキズ物だとかあげつらいたいわけではなく、最近知ったこと気付いたことを記載しているだけである。


今月、パラの順位戦で変長作が入選取消になり、ちょっとした論争になっているが、変長の話になると必ず思い出す作品がある。(作者はそんな思い出され方はされたくないだろうけど)

2010年7月 井上徹也 シンメトリー

収束直前、495手目に88飛と打ったところ。

作意は95玉、96歩、同玉、97馬、同玉、99香までだが、87飛合とするとどうやっても2手長1駒余りの変化長手数になる。変長作でありながら本作はこの年の看寿賞を受賞した。(重ね重ね言うが、看寿賞受賞を非難したいわけではない)

変長がどれほどのキズなのか、いっそ現代では不完全の扱いにしてしまってもいいのかについては議論の分かれるところではあるが、余詰が不完全というのは誰しも認めるところだろう。ところが超長編の世界では余詰も許されているケースがある。

2006年10月 田島秀男

286手目13玉としたところ。

作意は23歩成、同玉、24馬までだけど、ここで12成香と取っても詰む。

1999年8月 橋本考治 アルカナ

634手目98玉としたところ。

作意は99香、同玉、88銀、98玉、99金までだけど、99香と99金を入れ替えても詰む。(これは余詰ではなく、あくまで手順前後や非限定のキズだと見る人もいるかもしれない)

超長編では終わり5手くらいの余詰は許されているようだ。(てっきり終わり3手までかと思っていたが、終わり5手で許されている作品もあった

短中編でも最終手からの余詰は許されているので、手数の長い超長編ではその範囲が拡張されるという論理は分からなくもない。

私見では超長編で収束の余詰が許されている一因は、看寿の寿611手詰が601手目から余詰があるのに完全作として扱われていることに端を発しているのではないかと思っているが、どうだろう。

ただ、田島作もアルカナも看寿賞間違いなしの作意でありながら、実際には受賞していないところを見ると、収束余詰は完全作として発表はできても看寿賞では避けられてしまうようだ。(聞いた話では、アルカナは修正再出題が影響したらしいが、当時のパラが手元になくて不明)